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コラムNo.4

つ ぶ や き

水島協同病院神経内科
  吉 井 り つ

私、around50の女性医師です。神経内科を中心に、勤務医として生活してきました。

夫はいます。同じ職場の医師です。知人の表現によると、“彼は、妻が医者仕事と家仕事をして暮らしてゆこうとするのを20年間一生懸命守ってきた人物”だそうです。

今年、一番上の男の子が高校3年生、2番目の女の子が高校一年生、3番目の女の子が中学一年生になり、同じ中高一貫校に通っています。3人団子のようにじゃれながら、日々、いったい何がそんなに楽しいのか、うきうきキャーキャーと浮ついたスクールライフを過ごしているようです。

その一方、家庭内では3人結託して母親攻撃に余念がありません。「母さんに何がわかるんですか!

自分たちも意見を持っている一個の人間なんだから、母さんの意見をそのまま受け入れる必然性はないでしょ!しっかり説明して子どもを納得させなさい!」等々。「そういう時期なのはわかる。が、少しは親の言うことを聞いてくれたっていいじゃないの!」と、わたしだって言いたいですよ。寂しいことに、彼らが甘えてくるのは体調不良のときぐらいと相場は決まっています。必然、思いは古き良き時代にめぐります。

30歳から35歳の間に3人の子どもを授かりました。一応の基礎研修は終わり、大学院の論文もひと段落着いていました。育児休業制度が普及し始めた時期で、好ましい制度だと思い、取得を決めました。しかし医師として実力をつけてゆく時期での休業は、私の中に想定外の強い焦燥感を生みました。荒れて夫に当たる場面が頻繁にあり、「大切な子育てを貶めるようなことをするな」と諭されていました。

1人目の育休では、大学院の卒業講演を行い(休憩時間に授乳しながら)、学位を取得しました。

2人目の育休では、神経内科専門医を取得しました。(乳児をオブって勉強している姿は偽二宮尊徳でした。腰は痛めるし、格好悪いことこのうえなし)、3人目の育休で、心底子育ての楽しさを実感し、“母”になりました。ついでに家も建ちました。

心がへこんだときには、子どもたちの、裸んぼ日光浴を思い出します。末娘が喃語をしゃべり全身を得意げに動かす様子、お乳くさい肌の柔らかさ、上の子2人が左右からあやす言葉やしぐさなど、とても幸せな情景として私の記憶に刷り込まれています。

子どもたちは、将来を問われて、「お医者さんっていいなと思う」といいます。「医者にだけはなりたくない!」と言われないだけでも、母であり医師であった自分の20年弱を肯定的にとらえようと努めています。とりあえず今のところ。

小人、50にして、大いに惑う。子どもは親離れを始めたこの頃、自身の能力が劣化してゆくのを自覚する一方、きちんとした仕事をしたいという欲求は大きくなっています。人生の曲がり角か、また、道を探す時期になったようです。

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