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コラムNo.11

震災に感じる想い

岡山済生会総合病院
  渡 辺 恭 子

4月下旬に東日本大震災後医療支援のため岩手県に行ってきました。最初テレビで震災のニュースを目の当たりにして被害の大きさに呆然として、昔のことが思い出されました。

H7年1月阪神淡路大震災の際、明け方異常な揺れに思わず子供たちに覆いかぶさり、ニュースで神戸西市民病院の真ん中がつぶれた様子や橋げたが落ちた風景に驚きましたが、友人たちは神戸にいたけどあまり大きな被害を受けずに済みました。

今回は、多くの人々や家屋を一瞬にして奪い去ってしまった大津波、沿岸部を中心に広範囲の被害を出しており、道の山側は家も残っているが、海側はがれきの山でした。

地震から1カ月以上たったところへ行ったわけですが、余震が続いており夜中の3回の余震に、そのたびニュースで震源地を確認してなかなか眠れませんでした。

公民館と中学校に避難所があり、中学校は白いテントで区切られていたけれど、公民館は布団1枚がパーソナルスペースで、プライバシーもなく心的ストレスを抱えている人もいました。

3日目に意識障害の人がいるとの知らせで、奥に入ったところ冷汗がありⅢ-300瞳孔著明な縮瞳対光反射のない状態でした。点滴をし、50%ブドウ糖液はなかったので無理に口をあけ、ブドウ糖を流し込み救急車内で意識が戻り、会話もできるようになりました。

病院も関東からの応援医師で、患者さんはすぐに帰されましたが、遷延性の低血糖を起こしており、夕食後2時間で血糖測定したところ、しっかり会話しているのに血糖は54。パンを食べさせ夜間低血糖用にブドウ糖を渡して宿舎に帰りましたが、次の日お目にかかるまでは心配でした。

翌日診察に来られた方々が、口々に今まで岡山がどこにあるか知らなかったが、今回岡山弁を覚えたんじゃとか、岡山の人に助けてもらったとか、まだ辛い避難生活なのに明るく話されるのが印象的でした。

土砂に埋もれた写真を洗って乾かして再生しており、写真がとても大切な思い出なのだとも言われていました。

岡山へ戻り地震の心配のない夜がどれだけ安心して眠れるか、普通の暮らしができることがいかに恵まれたことであるかを感じ、いろいろな方々に支えられて行ってこられたことに感謝しています。

実家の古い荷物や古い本を断捨離し、写真等を持ってきましたが、気が緩んだのか風邪をひいてしまい、年齢と抵抗力のなさを痛感したところです。

卒後20数年医師を続けてきて、阪神淡路大震災の時、小さかった子が遠い大学へ行ったのですが、卒業したら岡山へ戻ってこようと思うと言っていたのが嬉しかったです。

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