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コラムNo.60

出会い

佐藤眼科
  院長  佐 藤 由 希 子

医師になって20年目、開業して10年、節目の年を迎えました。

この春、子供が高校一年生と中学一年生になります。ここまでくるには、諸先生方と同様、山も谷もたくさんありました。何度やめようと思ったかわかりません。

私が、これまで仕事を続けてくることができましたのは、支えてくださった皆さんとの素晴らしい出会いのおかげです。

大学卒業後、右も左もわからないまま大学院に入学し、臨床研修と研究の日々がスタートしました。眼科の医局には、仕事と家庭を完璧に両立されている先輩方が、たくさんおられました。まず、先生方の努力と根性を目の当たりしてカルチャーショックを受けたことを、今でも鮮明に覚えています。とにかく先輩方を目標にして、不安だらけのまま、大学院4年生の時に長女を出産しました。それは、忘れもしません、学位論文が受理された日でした。復帰後、わが子は大学病院の院内保育園に入園しました。生後間もない子供を調子が悪くても、どんなに仕事が遅くなっても、いつも母のようにみていてくださった保育園の園長先生には心から感謝しております。この先生と出会っていなかったら、仕事復帰はできませんでした。

その後、関連病院での一人医長生活、主人はアメリカに留学しておりましたので、病院の官舎に入って、母子家庭生活が始まりました。実家が遠く、慣れない土地で不安な日々を過ごしていた私たちを、まるで家族のように支えてくれたご一家と出会いました。今でもずっと、私の心を大黒柱のように支えてくれています。

一年半ののち、現 岡山大学病院眼科の白神教授にご推薦いただき、主人と同じアメリカNIH(国立衛生研究所)に留学させていただきました。アメリカのボスは世界的なスーパー女医さんでした。NIH(NEI)の臨床治験の総括責任者として活躍される一方、三人の御嬢さんを育てておられました。「考えているだけではいけない!考えても何にもできないでしょ!やってみたら何とかなるから!やってごらん!」そう言って、いつも励ましてくださいました。とてもかなわない雲の上のような存在ですが、とても大事にしてくださいました(後に、東日本大震災のあと、放射能を心配して、すぐにアメリカに来なさい。子供だけでもすぐによこしなさいと何度もメールをくださいました)。

アメリカで長男を出産し、生後5カ月の時に帰国して大学勤務に戻りました。帰局のご挨拶に伺ったとき、翌月の当直予定表に週一回割り当てられている自分の名前を発見した時は、さすがに驚きました。少し戸惑いもありましたが、子供の発熱や体調急変の時は、当直を代わってくださったり、さりげなく代わりに仕事をしてくれていたり、医局の先生方には感謝してもしきれません。

他にも、ここには紹介しきれないほどの素晴らしい出会いがたくさんありました。仕事も中途半端な私ですが、家族にも多大な犠牲をはらってここまでやってきました。

主人の助け、そしてどんなに辛くても「仕事を辞めるな !!!」という叱咤激励は、私の原動力になっていると思います。開業当時、まだ幼かった子供たちは、看板娘、看板息子としていつも待合室にチョコンと座っていました。スタッフは、本当のお姉さんのようによく面倒をみてくれました。現在は、家族と家族のように信頼できるスタッフに囲まれて、毎日診療しております。

この先、どれだけ頑張れるかわかりませんが、出会いを大切に、出会えたことに感謝して、これからも前進していきます。

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