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コラムNo.64

東京から岡山へ~この13年の私の軌跡

いのくち内科クリニック
  井 口 桃 子

私は、岡山市内のクリニックに勤務する卒後13年目の内科医です。地域のかかりつけ医としてはまだまだ駆け出しで、毎日が勉強です。

東京で生まれ、千葉で育ちました。昭和大学を卒業し、同大学第二内科(現消化器内科)にて三田村圭二教授、井廻道夫教授のご指導の下、主に肝臓病の診療・研究に十年間携わってきました。私にとって肝臓の魅力は尽きないのですが、一つ挙げると、沈黙の臓器であるがゆえに血液検査項目、画像診断のモダリティーが多種多様に発達していることです。

肝障害という問題に対し、肝臓内科医は、理学所見とこれらの検査から得られた臨床情報を統合し分析することを求められます。そこに経験を加味して最終判断を下していくのが醍醐味だと思います。時には甲状腺疾患や心筋炎といった他臓器疾患が肝障害疑いとして紹介されてくることもあり、肝疾患だけに留まらない興味深さもありました。また肝臓にはさまざまなウイルスが感染するため、ウイルスの血清学的検査法も発達しています。ウイルス肝炎治療は日進月歩で進歩しており、新しい知識をもって診療に携われたことも大きな喜びでした。

二度の出産を経験し、育児と仕事の両立という壁に直面したわけですが、井廻先生より「あなたがモデルケースになりなさい」というお言葉をいただき、多くの上司同僚・家族に支えられ、研究と外来業務という形で大学病院の仕事を続けさせてもらえました。一方で夫は岡山出身の眼科医で、岡山に戻って地域医療の一助になりたいとの希望を持っていましたので、結婚当初からいずれはこの地にやってくると考えていました。住み慣れた地と離れることに大きな不安はありましたし、志半ばに研究をやめることもつらい気持ちでしたが、二人の息子たちともっとかかわりたい、夫の希望にも添いたいという気持ちが勝り、井廻先生のご退任と同時に転居し、現在に至ります。

岡山で地域のかかりつけ医として働くようになってから三年半が経ちました。内科かかりつけ医は実に様々な訴えに対応していかないといけないため、三年半を経た今でも毎日のように新しいことを学んでいる気がします。昨年末に総合内科専門医資格を取得しましたが、試験勉強する中で、この十数年でどの分野も進歩していることに驚きました。知識のアップデートだけでも、維持していくのは大変そうです。かかりつけ医の仕事は研究のように目標を設定して達成していくという喜びは少ないですが、同じ患者さんを長期間にわたって診るなかで、日々の心身の健康への喜びを共有させてもらえるという楽しみがあります。ときには病気をとおしてその人の歴史を垣間見て感動します。患者さんの身体の状態のみならず生活そのものに寄り添う仕事であるとつくづく感じます。いまの私は、患者さんからかけてもらえる「ありがとう」の言葉がうれしい。毎月同じ日に顔を見せてくださるご婦人の笑顔がうれしい。知識も経験も少しずつ増やしていき、誰かの笑顔に貢献できるように微力ながら努力していきたいと思っています。

当院は義父が四十年前に開院した診療所です。この三年半、義父と共に仕事をさせてもらい、私にとってはもはや義父というより恩師と呼ぶべき存在です。義父は四十年間ひとりで診療に当たり、休診にしたのは私たち夫婦の結婚式の日だけ。診療に関しての私への指導の言葉は一度もなく(言いたいことはあったと思いますが)、私のやり方を尊重してくれたこと、経営面のノウハウを根気強く教えてくれたこと、何より隣の診察室で診療する声から、決して一朝一夕につくられたものではない平素の医師としてのあり方を教えてもらいました。この四月より夫の弟が内科医として大阪より岡山に戻り、当院もいま世代交代の時を迎えています。仕事を通して義父と関わる日常も当たり前のようでいて、よく考えると有難いことなのだなと思います。この紙面をお借りして恐縮なのですが、義父にありがとうの言葉を伝えたいです。そして私はこれからも、家族を支え、また支えられながら、誠実に笑顔で生きてゆきたいと思っています。

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