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コラムNo.82

私の女医生活

医療法人平島クリニック 副院長 吉岡 敏子

現在、私は皮膚科の開業医として、兄が開設したクリニックで勤務しております。週に4日は午前、午後。土曜日は半日です。

皮膚科は敷居が低い科かと思います。老若男女人生のおはようからおやすみまで。髪、頭から粘膜、手足の爪先まで診させて頂きます。

皮膚は正常に機能している時はあまり意識が向かず、また、個人差や年齢的な変化も大きいので、正常だけれど気になって来院される事も有ります。左胸だけに同じ大きさのシミが出来た!悪い物か?内臓が悪いからだろうか?と心配しておいでで、よくお聴きしたら検診で心電図をとった後だったということもありました。テレビ等で皮膚癌や帯状疱疹の報道があると、「私は違う?」と受診される方も増え、ナースと「影響力があるねぇ」と言い合っております。

クリニック開院当時、近くに皮膚科の専門医は少なかったので、見学会の時なども期待されていると感じました。皆さんのご期待全てには添えなかったかもしれませんが、どちらかというと沢山の方に来院頂いていると思います。まだ2世代目の方はおられませんが、お腹の中からのお付き合いの方が高校・大学に行きだした、とか仕事を始めた、と言って来られる事もあり嬉しく思っております。

私自身は、18年前に亡くなった父が産婦人科の勤務医をしていたので、やりがいのある仕事、医師になりたいと思っており、それなりに頑張りました。平成の初めごろ四国の大学を卒業して岡山に帰って、どの科を選ぼうかと多少の迷いはありました。今では考えられない事ですが、科によっては女医は要らないと入局制限があった所もあると聞いていました。

学生時代に実習に行ったら指導の先生が「女子学生は結婚相手を見つけるために医学部に来て、すぐ辞めてしまうから…」という趣旨の話をされた事もあり、(冗談?)当時、本音の所ではそう思っておられる方も居たのかなと思います。逆に結婚しても仕事を辞めずに頑張るんだ、というモチベーションの元になっているかもしれません。

岡山ではそうした事はなかったのでほっとしており、父と当時の教授が元同級生と云うこともあり入局し、親身にご指導頂きました。結婚は早くしたいなと思っていたらご縁があり、入局の翌年に結婚できました。さあ、子供はどうする?

当時は学会に入会後6年以降で専門医試験を受ける事になっていて、結婚当初は専門医を取るまで子供は…と思っておりましたが、意外に早く子供が出来、2年後には第2子も産まれました。なかなか論文が書けず、専門医資格取得は2年後輩の先生と一緒になりました。これから結婚、出産を予定しておられる方には、可能な限り早い方がいい。と申し上げたいと思います。

第1子の妊娠後、夫の両親が「子供を見てあげるよ」と言ってくださったので、出産を機に新婚当初居たアパートから夫の実家の築55年の家に移りました。夫の祖父母も90歳前後で健在でしたので、うちの息子は祖父母と曽祖父母にお守りをして貰っていた訳です。田んぼ一枚隔てた本家とうちの間を姑さんたちが往来して、子供を朝、迎えに来て下さり、夕方は、本家に私が帰宅し、晩ごはんとお風呂をそちらで頂き、子供を連れて帰る毎日でした。翌年と翌々年、曽祖父母のお二人とも天寿を全うされました。

当時は産前6週+産後8週の産休で、しかも第1子は予定日より1週間早く生まれたので、さらに産休が短かったです。第2子の出産間際には「どうぞフライングしませんように」と思っており、上手に予定日+ 3日の誕生日と相成りました。夫の両親がこの第2子の出産前に、私たちの家の隣に新築して、本家が近くなりました。前庭の空き地が広いので、子供たちは夫の妹の所の3人の子供、従兄妹とよく遊ばせて貰いました。

自宅は建て替えず小規模リフォームだけで、築80年のまま。先日のリフォームでは浴槽をまた、タイル張りの五右衛門釜仕様にしました。焚口は塞いでしまったので温水器でお湯を張るのですが、毎日鋳物の釜の風呂に肩までつかってリフレッシュしております。

クリニックには、子供の同級生やお母さん方など繋がりのある方も多く来られてありがたい事と思っております。と、非常に個人的な事を書かせて頂きましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

また、仕事、プライベートともに、皆様、ますますよろしくお願いいたします。

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