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コラムNo.87

Youは何しに岡山へ?

岡山済生会総合病院 泌尿器科 医長 中村 あや

はじめまして。岡山済生会総合病院で泌尿器科医として勤めております中村あやと申します。数カ月前に、Enjoi通信への寄稿のお話を頂いた時には、正直私は文章を書くのが苦手ですので、出来ればお断りさせていただきたい気持ちでいっぱいでした。しかしながら、お誘いくださった先生が、「自分の趣味とか、好きなように書いて良いですよ」と言ってくださったので、お言葉に甘えさせて頂いて、好きな事を書かせて頂こうと思います。

① 生い立ちから趣味の旅行に没頭するまで

私は千葉県の所謂ベッドタウンで、父は団塊世代の普通の中流サラリーマン、母は専業主婦の家庭で育ちました。何故か小さい頃より海外への憧れが強く、将来はNYのアパートの一室を和室に改造して漫画家として働く‼と、なんだかとんちんかんな夢を抱いていました。そしてはじめての海外は、小学生の頃に行ったハワイでした。当時は海外旅行なんて行ったことのある人の方が珍しかったのですが、どうしても海外に行きたい!と両親にお願いして、連れて行ってもらいました。大きなステーキを食べて、きれいな海を泳いで、楽しかった記憶しかありません。

その後も、ホームステイや修学旅行でも海外を経験して、さらに憧れが強くなり、いつの間にかその夢は「アフリカやアジアの発展途上国での医療活動をすること」に変わり、群馬大学医学部に進学しました。

② 大学でバックパッカーに転身

今はインターネットが世界中に張り巡らされていて、googleのストリートビューでは知らない外国の小さな路地まで入り込める、写真はほぼ無限枚数撮れて、世界中で携帯電話が繋がる便利な時代になりましたが、私が大学に入学した当時(1993年)は、まだ「パソコン通信」の時代で、カメラもフィルムカメラしかなく、海外の情報を得ようと思うと、本や雑誌から得るしかありませんでした。情報がないからこそ、より、海外への憧れが強くなったのかもしれません。

大学に入ってからは、先ずはツアーでインドに行きました。それから、学生生協のツアーでロシアへ。このツアーは全国の大学生が集まるツアーで、殆ど個人参加しており、ツアーに参加した中には岡山大学医学部の同学年の子がいて、とても仲良くなりました。そしてそのツアーではシベリア鉄道に乗車したのですが、そこで「バックパッカー」と呼ばれる人に、人生で初めて会いました。そのバックパッカーは女性で、これからヨーロッパを横断してチュニジアまで行くこと、そしてカンボジアなどもこの前の旅行で行ってとても楽しかったことなどを聞いて、いてもたってもいられなくなり、数カ月後にはケニアに三週間のバックパッカー旅行に出かけていました。ケニアでの経験は素晴らしく、その旅行記だけで原稿用紙5枚位書けそうなので割愛させて頂きますが、そこからは本当にバックパッカー旅にはまってしまい、長期休みには怒涛の旅行三昧で、アジアのほとんどの国を周遊しました。(時には怖い思いもしながら…。)

そして旅行三昧が祟ったのか、四年時に留年してしまいます。ただ、幸いなことに、前期のみの留年でしたので後期はこれを機に英語を勉強しようと、カナダへの半年間の語学研修に行きました。英語の勉強も楽しく素晴らしい経験でしたが、ここで意識が変わったことがありました。それは、いくら海外が好きと言っても、住んでしまえばそれは日常になってしまって、当たり前になってしまうということ。旅行をするのと住むのとでは、全く違うものであり、やはり私は住むのには日本が一番だと思うこと。そして、したかった海外医療も、ただひとりで行うよりは、どこかの道のエキスパートとなり、その土地の人材を育てる方が何倍もの人が救えるのではないかということ。

③ そして岡山へ

国試はなんとかストレートで合格した私が、勤務先へと選んだのは岡山大学泌尿器科学教室でした。理由をよく聞かれるのですが、一番の答えは「なんとなく」。

前述の通り、学生時代を殆どバックパッカーとして過ごした私は、新しい土地に出るのには何の抵抗もなく、数年違う土地で過ごすのも面白いなと思い、関東を出ることを決意しました。 

海が綺麗な千葉県で育ち、群馬で温泉三昧の学生時代を過ごしたので、その両方があること、そして、飛行機が大好きなので、空港が都市の近くにあること、気候が温暖なこと、などを考えて岡山が候補に挙がり、そこで、ロシアで出会った私より一年早く医師になっていた岡山大学の友達に、「泌尿器科どんな感じ?」と聞いたら「教授が変わったばかりでなんか勢いがあるよ!」なんて背中を押されて、岡山に来ることを決めました。はじめは、ちょっと岡山に来たけどその後はどこに行こうかしら?なんて考えてもいたのですが、この地で結婚し、三人の娘にも恵まれ、ついに移住18年目突入、私が生まれ育った千葉と同じだけの期間、岡山にいることになります。人生何があるかわからないですね。

さて、旅の方はというと、家族旅行にシフトし、娘達の旅育に励み将来のバックパッカーを育てています。また、その道のエキスパートになれたか?は、結局普通の泌尿器科医でしかありません。海外に医療技術を教えに行くなんてちょっと無理そうですが、今後また新たな夢を見つけて、少しずつ進歩していきたいなと思っています。拙い文章ですが、お読み頂きありがとうございました。

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