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岡山県医師会の歴史

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6 森藤靖夫 会長時代(1970年4月~1976年3月)

1970(昭和45)年2月の臨時代議員会で森藤靖夫会長以下役員が、無投票で選出、4月新執行部が船出した。

<第1次 森藤靖夫 執行部・1970年4月~1972年3月>

会長
*森藤靖夫
副会長
*本城明朗、*藤原拓士
専務理事
佐野俊平
理事
笹木泰夫、小坂淳夫、新 泰雄、片山太郎、中山忠夫、*斎藤 浩、
*宇野資郎、*藤原 弘、小林雅章、宮島富徳、満谷士郎、*三宅 明、
永瀬正己、土井健男
監事
石田 巌、田淵義三郎
社会保障部長
永瀬正己
同副部長
土井健男
福祉部長
笹木泰夫
同副部長
小林雅章
日医代議員
森藤靖夫、*本城明朗、佐野俊平、中島堅吉

(*は新任)

森藤会長時代は、新生岡山県医師会の揺籃期が終わり、成長期を迎えた時期であった。その6年間の最大の出来事は、活動拠点として念願の岡山衛生会館が完成したこと。また、併設された岡山成人病センターにより、健診と情報管理など県民への保健活動が動き出した。県下には地域保健委員会も組織され、住民と行政が一体となって地域保健に取り組む態勢が進んだ。

もう一つの大きな出来事は、1971(昭和46)年7月の日医による保険医総辞退。1月、内田厚生大臣が患者の一部負担引き上げなどを内容とする健保改正案を社会保障制度審議会に諮問、また厚生省が「診療報酬体系の適正化について」と題する審議用メモを中医協に提出。このメモに武見日医会長が「これは反社会保障的性格のものだ」と反発、その抗議として実力行使に至った。県医師会も辞退寸前まで行ったが、見送った。

医学界をみると、1955(昭和30)年頃から散発していた奇病スモンは、1970(同45)年8月、椿忠雄新潟大教授がスモンの原因は、整腸剤キノホルムが関係と発表、厚生省は直ちにキノホルムの使用・販売を禁止した。本会もスモン患者の届け出を励行し、保健所の調査に協力するよう要請した。また、同年には公害対策の法律が次々制定された。

県下では、同年6月、川崎医科大学(赤木五郎学長)が開学。

10月には岡山市古京町に岡山保健所・県衛生研究所合同庁舎が完成。同月、岡大医学部創立100周年記念式典が挙行された。

同年10月、戦後初の国勢調査が行われ、国の総人口は1億466万5,171人、岡山県の人口は、170万人を超えたが、県南への集中が強まった。

岡山衛生会館竣工(1971年3月)
岡山衛生会館落成式に出席する人の車。正面入り口
完成した岡山衛生会館外観
故三木知事の功績を称え命名された「三木記念ホール」

悲願であった岡山衛生会館は、東京都の国(くに)建築設計事務所の設計・監理の下、1970(昭和45)年1月に着工、荒木組の施工で予定通り翌1971年3月末完成、4月1日から業務を開始した。東山をバックに旭川を眼下に納め、烏城が指呼の間に望む抜群の景観。鉄骨・鉄筋コンクリート造り地上6階、地下1階建てのスマートな外観、636席の大ホールを備える。4月24、25日落成式を盛大に挙行、武見日医会長らが講演した。森藤会長は「新会館は県医師会の地域活動の拠点。会員の魂のより所として団結を図り、医学の修練の場となるべきもの」と挨拶した。5月1日三木行治像除幕式、三木記念ホール完成式。6月から会館2階の岡山成人病センターが業務開始、胃がん、循環器がん、婦人性器がん、外来人間ドック、精密検診に当たった。

なお、工費の落札価格は5億7,200万円(本会負担分は4億5,000万円)。県医師会と岡山市医師会との負担割合を2.5:1とした。

※1972年4月、日医定例代議員会で武見太郎会長が9選。

※同年6月、70歳以上の高齢者医療費が無料となる改正老人福祉法が成立。翌年1月から実施された。

※10月、岡山県知事選で加藤武徳知事が長野士郎候補に破れ、3選はならなかった。

<第2次 森藤靖夫 執行部・1972年4月~1974年3月>

第79回臨時代議員会が、1972(昭和47)年2月開かれ、無投票で森藤会長が再選された。

会長
森藤靖夫
副会長
*笹木泰夫、*永瀬正己
専務理事
*宇野資郎
理事
新 泰雄、藤原 弘、松本増夫、小坂淳夫、*岩藤嘉行、*行森 隆、
*生田啓吉、*田村誠一郎、*片山司可志、三宅 明、*豊田 実、
宮島富徳、*宮本祥郎、*西 教純
監事
田淵義三郎、*鶴海寛治
社会保障部長
永瀬正己
同副部長
松本増夫
福祉部長
笹木泰夫
同副部長
*田村誠一郎
日医代議員
森藤靖夫、*笹木泰夫、*永瀬正己、中島堅吉

(*は新任)

1972(昭和47)年10月15日、衛生会館三木記念ホールで県医師会25周年、福祉部20周年、医師国保15周年合同の記念事業が行われた。歴代会長、副会長、社会保障部長への感謝状贈呈やノーベル賞受賞者・朝永振一郎らによる記念講演があった。また、会員による医家芸術作品展、医家コレクション展を同会館ロビーなどで開催した。

加賀呉一前会長が、5月27日73歳で死去。6月5日三木記念ホールで告別式が行われた。

1973(昭和48)年10月、石油ショックが起こり日本経済は混乱、衛生材や医薬品価格の高騰を招き医療界にも深刻な影響をもたらした。老人福祉法が改正され1月から老人医療の無料化が実現した。

岡山県関係では、1972年10月に誕生した長野県政は「岡山県総合福祉計画」を掲げ、福祉優先を目指すことを表明した。1973年4月、「岡山県総合保健協議会」設立(会長・高畑浅次郎、副会長・森藤靖夫)。

日医関係では、武見太郎会長が10選を果たし、本会の森藤会長が理事に当選。

<第3次 森藤靖夫 執行部・1974年4月~1976年3月>

第83回臨時代議員会が、1974(昭和49)年2月開かれ、無投票で森藤会長が3選された。

会長
森藤靖夫
副会長
笹木泰夫、永瀬正己
専務理事
宇野資郎
理事
新 泰雄、藤原 弘、松本増夫、小坂淳夫、岩藤嘉行、行森 隆、
田村誠一郎、片山司可志、*山本 彰、*宮本政義、三宅 明、豊田 実、
宮島富徳、西 教純
監事
田淵義三郎、鶴海寛治
社会保障部長
永瀬正己
同副部長
松本増夫
福祉部長
笹木泰夫
同副部長
田村誠一郎
日医代議員
森藤靖夫、笹木泰夫、永瀬正己、中島堅吉

(*は新任)

※「岡山県医師会史(第1巻)」が1974(昭和49)年12月、完成。1967(同42)年、当時の加賀会長が編纂の企画を立て、森藤会長に引き継がれ4年8カ月を費やして上梓された。

※がん征圧全国大会が1974年9月19日、岡山市の岡山市民会館で開催された。1966年以来日本対がん協会の主要行事として毎年開かれていた。新泰雄理事が「岡山県における対がん運動の歩み」と題して講演した。

※永瀬正太・元県医師会会長が1975(昭和50)年2月11日、83歳で死去、葬儀は同13日自宅でしめやかに行われた。

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