TOP > ピックアップコンテンツ > 岡山県医師会の歴史 > 丹羽国泰 会長時代
2012(平成24)年2月18日開かれた第178回臨時代議員会で任期満了に伴う役員改選が行われ、丹羽国泰が現職の井戸俊夫を破り、新会長に選出された。(※任期は新公益法人移行に伴い4月から法人設立翌年6月まで)
(*は新任)
丹羽新会長は就任に当たり、▼強い医師会。会員同士の会話を促進し、一致団結した組織作り▼情報発信。レターを発行し、会員に医師会の活動をよく知ってもらう▼公益社団法人への移行。それに伴う定款の制定や代議員定数は、会員が納得できるものにしたい▼新岡山県医師会館の建設。前執行部が昨夏、岡山駅西口に約500坪の土地を確保しているが、駐車場問題や周辺環境などがあり後顧に憂いを残さないため再検討したい▼理事会運営の改善。効率的運用を行い、報告事項は簡略化し、協議事項を重視する▼医師会事業。特に高齢化が進む中、介護事業を推進する―を重点項目として掲げた。特に、新会館建設に関しては、既に購入した岡山駅西口の土地に替え、岡山市北区下伊福西町に新たに土地約700坪を取得するとした。
※2012(平成24)年4月の第126回日本医師会定例代議員会で役員改選が行われ、会長選挙では現職の原中勝征(茨城)、横倉義武副会長(福岡)、森洋一(京都)が立候補、今回から有効投票数の2分の1以上の獲得が必要とされたため3人とも達せず、上位2者で決選投票を行った結果、横倉氏が原中氏を破り、第19代会長に選出された。
第180回県医師会臨時代議員会が2012(平成24)年8月5日、岡山市中区古京町の岡山衛生会館で開かれ、丹羽会長が推進し、それに理事者多数が反対していた「岡山市北区下伊福西町の土地購入に関する件」を審議、是非を代議員表決に図った。その結果、賛成25票、反対43票となり、反対多数で否決された。
中国地区DMAT連絡協議会実働訓練が2012年11月3、4日の両日、岡山県下の拠点病院、岡山空港、岡山県庁で行われた。岡山県内で大規模地震が発生した場合に備え、迅速・効果的な広域的医療体制が確保できるよう中国5県のDMAT、及び消防など防災機関が合同訓練を行った。臨時医療施設ではヘリによる搬送、トリアージ訓練や災害医療ロジスティックチームによる検討会、講演などが行われた。訓練では連携ミスや情報システムへの入力ミスなどがあり、成果とともに課題点も浮き彫りにされた。
岡山県医師会は2013(平成25)年4月1日、晴れて「公益社団法人」として新たに登記された。法人制度改革に伴い、岡山県医師会は新たな法人化に向け、約5年前から勉強会を実施するとともに、公益社団法人を目指す方針に決してからは社会保障部の取り扱いと代議員数の定款制定について長時間にわたり議論を重ね、周到に移行準備を進めてきた。旧社団法人時にも「岡山県民とともに歩む医療専門家集団」として活発に事業を展開してきたが、公益社団法人への移行を機により公益性を重視した多彩な事業を展開、飛躍への決意を新たにした。
新議長に柴田浩(邑久)、副義長に武田正彦(苫田)。第183回県医師会臨時代議員会が2013(平成25)年4月14日開かれ、任期満了に伴う正副議長選挙を行い、それぞれ選出された。
県医師会の公益社団法人となった県医師会の新たな門出を祝う記念式典・祝賀会が2013年4月29日、岡山市の岡山プラザホテルで横倉日医会長はじめ医療、政界、行政、岡大など各界の招待者、会員ら約200人が参加し盛大に行われた。
第11代県医師会長の永山克巳氏が、2013年5月31日逝去した。享年85歳。
1994(平成6)年に県医師会長に就任、3期6年にわたり県医師会を牽引、会の発展と県民の医療・福祉の向上に尽力した。岡山県内診療所の現況調査、医師会立訪問看護ステーション設立の勧奨、マスコミによる薬価差益論への抗議、乳がん検診認定医制度など数多くの業績を残した。中でも、岡山医師会史(第2巻)の編纂には心血を注いだ。また、岡山県公安委員長も務めた。こうした社会貢献が高く評価され、2011年度三木記念賞を受賞した。