会長から地域住民の皆さんへのご挨拶です
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一般社団法人 都窪医師会会長  木村 丹

 ようこそ、都窪医師会ホームページにアクセスしていただきました。

 地図は江戸時代後期に作成されたもので、ほぼ中央に「都宇郡」と「窪屋郡」の地名が見られます。1900年(明治33)4月1日に二つの郡が合併し、「都窪郡」が成立しました。都窪医師会の「都窪」は「都窪郡」に由来し、1920年(大正9)3月25日に設立された「都窪郡医師会(写真1)」の伝統を継承しています。当時、医師会事務所は倉敷町(現:倉敷市)にあり、1928年(昭和3)に倉敷町が市に昇格すると同時に倉敷地区の会員は倉敷市医師会として独立しました。昭和40年代半ばに、妹尾町、吉備町、福田村が岡山市に編入、茶屋町が倉敷市に編入が見通されたため、1971年(昭和46)1月に「都窪郡医師会」を「都窪医師会」に名称変更し、医師会と行政のエリアが一致しなくなっても「都窪医師会」を維持していくことが決議されました。現在、都窪医師会のエリアは岡山市、倉敷市、早島町の三つの行政で構成されています。一方、都窪郡を構成する行政は早島町のみで「都窪」の名称は馴染みが薄くなりつつありますが、「都窪医師会」はそのまま永く継続できることを望んでいます。

江戸時代後期に作成された地図
江戸時代後期に作成された地図
 
都窪郡医師会会則

「大正9年3月25日設立認可」と印刷された「都窪郡医師会会則」

 ただ今、全国各地で「地域包括ケアシステム」の構築が取り組まれています。今後20〜30年間、医療や介護などの支援を必要とする高齢方々は増え続ける一方で支える側の生産年齢人口は減少するため、貴重な財源の効率良い分配が不可欠になります。入院や介護施設はまさに必要においてのみ受け入れられ、「病気になっても介護が必要になっても可能な限り最後まで地域に住み続けることができるシステム作り」が求められています。地域包括ケアシステムは、@医療、A介護、B生活支援・福祉サービス、C住まい、D予防の5つの要素で構成され、特に重要なのが@ABといわれます。私たち医療従事者は、多くの方々が最期まで住み慣れた地域に住み続けられるように「介護」や「生活支援・福祉サービス」の担当者と十分な連携をして協働で「地域包括ケア」に取り組みます。

 従来、"かかりつけ医"とは、一般的な疾病に診療科を超えて対応し、健康相談なども気軽にできる医師を指していました。この数年、"かかりつけ医"の役割が変化し、幅広く対応できる医療知識・技術(治す医療)を有するのみならず高齢者に対する介護・福祉に十分な理解(支える医療)も求められるようになりました。地域の人たちに健康を維持するための"養生"を啓発していくこともかかりつけ医や医師会の使命の一つです。江戸時代に貝原益見先生が"養生訓"を唱えましたが、"養生"は古くは中国の言葉で"羊"のような美味しいものを"食"べて"生命を養う"ことから発展して、"生活に留意して健康の増進を図ること"の意味を持つようになりました。すなわち、自分の健康管理は自分で責任を持つことを求める言葉です。

 ただ今、わが国の全国の各地域で進められている包括ケアシステムの構築には、"かかりつけ医"と"養生の啓発"が大きな柱になります。都窪医師会は行政が三つ(岡山市、倉敷市、早島町)に分かれているため全体でまとまって大きな活動することが困難でした。今後は、行政の垣根を超えて医師会が一体となって包括ケアの取り組みに発動し、地域住民の方々の健康維持・増進に繋げ、安心して暮らせる地域づくりに励んでまいります。

 いうまでもなく、各医療機関での日常の診療、医師会と行政とが協働で実施する特定健診、がん検診、乳児健診、各種予防接種などは従来通りに尽力致します。