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コラムNo.24

仕事人生ラッキーです

国立療養所長島愛生園
  副園長・泌尿器科医長  大 和 豊 子

父の背中を追いかけ医師になりました。手術が好きだと思った・ねちっこい方ではない・大学時代に泌尿器科の動物実験の手伝いをさせてもらった。そこで泌尿器科を選択しました。

当時女性泌尿器科医師は全国でも10人強だったように思います。敬愛する父から、科選択について「女医でチンポコ医者か」と言われ、殴りかかりそうになった事を思い出します。当時泌尿器科は花柳病を扱う科?男性を診る科?と言われ、医師もそう思っていたのかもしれませんね。学生結婚をし、1年間女子医大泌尿器科に勤務しましたが、妊娠が判明し「助けがないと育てられない」という思いから、夫を説得して親元に戻りました。

岡大泌尿器科教授はリベラルな方で、快く入局させてくださいました。教室の先生方は困られたかもしれません。当時産休は産前産後6週間(産前3週間、産後3週間)、若かった事や、妊娠による不都合な症状がなく、研修医で日給月給だったこと等から、金曜日の外来業務をした後の日曜日夜半出産しました。恵まれていたのは母がお手伝いさんと共に子育てを十二分にしてくれたこと。そしてサザエさん生活を夫が受け入れてくれたことです。そのおかげで、男性医師と同等の勤務が出来たと思っています。次の妊娠は半年間国立岡山病院に出向している時で、「あんたは外から医局に戻る度に出産するんやなー」と言われましたが「アハハ、すみません」で終わってしまいました。ピンチは娘が5歳、息子が3歳、「仕事辞められないのか」と夫に言われた神戸西市民病院単身赴任時でした。辞めませんでしたが。はじめの1年は一人医長であり2週間に1回岡山に帰る予定がだんだん間遠くなってしまいました。3歳の息子は母親として認知してくれず「隣のおばちゃん」扱いで、恥ずかしそうに父親の背中に隠れていました。2年後岡山市立市民病院に赴任させてもらったのは女医へのご配慮だったと感謝しています。24時間自宅待機体制は子供も含めた家族の協力でクリアーしましたが、「いつ居て・いつ居ないのか分からぬ人」と皆が納得してしまい、締め出されて寒い夜中スゴスゴと病院に舞い戻ったこともありました。同期入局の男性医師から「新人が行う外来の検尿全部を僕がしていた時は大変だった」と後年伺った時、「そうだったんだ。迷惑もけっこうかけたな」と遅ればせながら反省をしました。多くの方々に支えられて今があるとお礼を申し上げます。今や泌尿器科8,000人のうち女性医師が350人を越えるようになり、泌尿器科女性医師の会も活動しております。ロールモデルが沢山あることはよいことだと思います。本年は泌尿器科受診の敷居を低くする試みの一つとしてゴールデン・ドロップピンバッジ作戦を展開中です。ご支援宜しくお願い致します。

小山武子先生がおっしゃっていたドクターバンクへの登録や、片岡仁美先生のMUSCUTが若い医師対象だけでなく介護離職後の支援も行ってゆけば、ある意味環境に恵まれない女性医師も、持てる能力を発揮できる場が増えると思っています。

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