岡山県医師会

TOP >  岡山県医師会の活動 >  役立つ会報Lineup > EnJoi通信

役立つ会報Lineup

EnJoi通信

EnJoi通信のTOPへ戻る

コラムNo.43

〈門前の小僧、医者になる〉
A joyful evening may follow a sorrowful morning.

岡山済生会総合病院
  内科主任医長  藤 原 明 子
〈消化器内科、1993年島根医大卒〉

2014年は午年。〈人間万事塞翁が馬〉この十年私が実感し心の支えにしている言葉だ。羨望を集める人は必ずしも幸福を満喫しておられず、恵まれず大変な境遇の方が私は幸せ者だといわれる。〈禍福はあざなえる縄の如し〉とサッカー日本代表の長谷部誠キャプテンのブログにもあった。喜びと悲しみは交互にやってくる。でも視点や受容の仕方の違いで、人によりその出来事は変貌するのだ。

私は物心がついた時は既に自宅と廊下続きの父の診療所の診察室に立っていた。待合室のスリッパや本を片付けて、薬袋に患者さんの名前を書いた。時には往診の車に揺られ、黙って長らく父と患者さんの家族との会話を聞いていた。学校から帰ってもおやつやTVは待っておらず、ただ毎日家業を手伝い、患者さんに〈お大事に〉と言っていた。私は内科医師としては22年目だが、医療現場には40年ほど携わっている、いわば〈門前の小僧〉出身の医者である。それが私の誇りだ。

従って医師になりたくて志した方には失礼だが、私は医者になりたかった訳ではない。昔の人達と同じで職業の選択等無縁で、常に敵は内なる自分と心得て生きるために淡々と前進し今がある。生来ボーッとしているため、大学卒業前にふと医師になりたいと思ってなかったことに気付いた。大変だ!どうしよう!泣いたり悩んだりしながら自分で結論に辿り着いた。取りあえず医師免許をとろう、女性は割にいい加減でも良いかも?定年後に自分のやりたいことをすればよかろう、と言い聞かせた。以前、同僚のある女医さんがこんな私に、「医者の仕事がピッタリです。」といってくれた。彼女はOL経験の後に医師を目指した方で、後輩ながらも同世代だった。社会経験の豊富な人からそういわれ、私もこの世界に居ても良いのだと門前の小僧もほっと救われた気持ちになったのである。

25年前出雲の地は、自然の偉力で私を成長させてくれた。築地松で有名な大風で傘はさせず、雪は真横に降り頬に突き刺さる。幼少時に憧れた女子大生生活と違っていた。夏は牛蛙の声が静寂を破り、夜の闇は深く蛍の灯と満天の星が大学からの帰路を照らした。古墳の傍の共同アパートの玄関で、私の好きなシニャックの点描画のような、水平線に沈む夕陽を眺めた。その頃は私もいつか岸辺の桜を人並に眺める日が来ると信じていた。

〈岸辺には桜並木の下、楽しそうな沢山の人、人、人。その眩しい景色を私は仰ぎ見るのだ。止まることのない大河の流れに私は身を任せることしか出来ない。あの岸辺に私は決して辿り着けないのだろうか?〉私がよくみる夢だ。これまでの私の人生なのだろう。河岸の人々は私には全く無関心で、桜を楽しんでいる。何とかしようと自分で岸に向かって泳いでみたが、流れの勢いに押し戻された。今度は岸辺の人が手を差し伸べてくれたので私も手を差し出した。が、既のところで手を解かれてしまったため、水の中に勢いよく沈んだ。やり方を変えてチャレンジしても、自分の努力のみではどうにもならないことがある。自然の力もそうであるし、人の心もまたそうである。何れも、じっと寄り添い行方を見守るほかない。医者の業もそうである。私が為す術がどうか一助となりますようにと神様に祈りながら。

嬉しい想い出よりも1人で涙ぐむことが多かった気がする。友人にも秘密にして打ち明けない。自分の味方がいたらどれほど真直ぐに生きられるだろう。止まってはいられない、進まなければいけない。歩みは遅くとも、一歩一歩、私は変わっていきたい。人間万事塞翁が馬なのだから。

ページトップ