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コラムNo.45

ウルルン「キリマンジャロ登頂記」

玉島協同病院
  清 水 順 子

朝礼で院長から渡されたのは、大きな布に登頂の成功と無事の帰還を祈って書かれた、職員みんなからの寄せ書きだった。勤続25周年の特別有給休暇(1週間の連続休暇と20万円)を使ってとはいえ、新病院建設の大変な時期なのに、送り出してくれるみんなの気持ちを思うと胸が熱くなった。

キリマンジャロ(5,895m)は、アフリカ大陸最高峰の活火山で、スワヒリ語で「白く輝く山」の意味通り赤道直下なのに山頂には氷河がある。世界中から年間数万人の登山者が訪れており、ネットで調べると、結構、日本からもツアーが出ている。特別な登山技術は必要なく、ある程度の体力(富士山に登れるくらい)と高山病にさえならなければ誰でも登れるが、登頂率は60%くらいで、1,000人に3人くらい肺水腫や脳浮腫で死亡例もあるらしい。今回、キリマンジャロに再挑戦したい友人(20年前にチンパンジー研究の配偶者とタンザニアで2年間生活)に誘われて、我々夫婦と3人で行くことになった。

私自身は25年前に新婚旅行で登ったブライトホルン(4,165m)が最高高度で高山病にはならなかったが、それ以上は不安である。さらに、最近は1年に数回しか山には行ってなく、大学の1年先輩で国際山岳認定医の梶谷博先生にまずは体力づくりと言われ、病院の前のみなと公園を夜に歩いたり、走ったりしたが、やりすぎて股関節痛がひどくなったためやめてしまった。2月の初めに三浦ドルフィンズの低酸素室で5,000m越えまで訓練した。

SPO2:80%あれば安静では息苦しさはなく、会話も普通にできるが、踏み台昇降してSPO2:70%を切ると手先と唇がしびれたようになり、息切れして頭がボーっとして、足元がふらついた。酸素化を上げる呼吸法を教わったが、足のふらふら感は取れず、帰りの夜行寝台で夢か幻覚か、岡山に着くから早く支度するように車掌さんに起こされた気がして、このまま眠ったら脳浮腫で死ぬかもしれないと一瞬思った。

2/8、ドーハ経由で関空から22時間、タンザニアのキリマンジャロ国際空港に着いた。約2週間の不在の間の準備で連日深夜まで仕事していたのがたたったか、胃が重く食欲がなかった。麓のマラングホテルに2泊、出発の前日に登山のレクチャーと装備の点検があった。2月は小乾季で、キリマンジャロ登山のベストシーズンなのだが、夜中に大雨と雷。朝、起きるとキリマンジャロの山頂が真っ白だ。

今回の登山ルートは小屋泊まりで一番ポピュラーなマラングルートで高度順応日含めた5泊6日のコースである。登山隊のメンバーは我々3人とチーフガイド、サブガイド、アシスタントガイド、コック、ウエーター、ポーター4人の大名登山だ。

2/10の昼前にガイドと共にマラングゲート(1,843m)出発。熱帯雲霧林の中は雨で5時間歩きマンダラハット(2,700m)に着く。2/11はホロンボハット(3,720m)までの8時間。

高原性草原帯で、カメレオンがいたり、日本の高山植物と似た植物やジャイアントセネシオなどアフリカ特有の植物などいろいろな植物があり、写真を撮りながらポレポレ(ゆっくり)登る。途中、下山してくる日本人と会うが、雪で登頂は全員断念したとのこと。

2/12は高度順応日で4,000mのゼブラロックまで散歩に行き、昼からは本を読んだりしてゆっくり過ごす。SPO2:80%前後だが、安静では息苦しさはない。胃もたれと食欲低下が続くが、スープとメイン半分とデザート、紅茶は2杯飲む。高山病なのか胃炎なのか、PPIを忘れたことが悔やまれる。ダイアモックスの副作用か、顔を洗おうとして手のしびれに気付く。シアリスも飲む。

2/12はサドル高原を経て荒涼とした山岳砂漠地帯の中をキボハット(4,703m)まで6時間歩く。晴れて明日登るキリマンジャロの白いキボ峰や、岩がゴツゴツしたマウエンジ峰がはっきり見えたかと思うと、風が吹いて雲の中に隠れてしまい、明日のアタックが不安になる。早めの夕食はスパゲッティミートソース。腹7分くらいでやめておく。横になるとSPO2:70%を切り少し息苦しい。夜中にウエーターに起こされ、アタック準備。食欲なくビスケット1枚さえ食べられず、紅茶のみ。

0時前にアタックに出発。暗い中、ジグザグの道を登って行く。気温は氷点下、空は満月で目指すキボ峰、振り返るとマウエンジ峰が月明かりに見える。先を行くパーティーのヘッドランプの明かりが遥か上の方に点々と見える。5,000mをすぎたあたりから息切れはするし、風と雪でなかなか前へ進めない。夜明けが来るころ頂上の火口の端のギルマンズポイント(5,685m)にやっとの思いで着いた。ガイドのエリギに「おめでとう」と抱きしめられ、胃が圧迫されて吐きそうなる。ここまで来れば登頂証明がもらえるのでもう引き返したかったが、寄せ書きの旗と一緒に写真を撮りたい一心で先に進んだ。ステラポイントを過ぎ、青い氷河が一瞬ガスの切れ間に見えた。さらに2時間かかって最高地点のウフルピーク(スワヒリ語で自由の意味)に着いた。ずっと下痢が出そうな便意があり、頂上の感激もそこそこに下山。ホロンボハットまで、この日は16時間、ほとんど飲まず食わずで歩き、夕食もスープ一口で、寝てしまった。

2/14もひたすら下山。ホテルまで帰り、庭でメンバーたちとキリマンジャロビールを飲んで、セレモニーをした。それぞれにチップを渡し、チーフガイドのエルネストから3人はそれぞれ登頂証明書をもらう。「キリマンジャロー」の掛け声の後、メンバーたちのコーラスが始まった。初めて登頂の実感とみんなに支えられた感激とが湧き上ると同時に、別れの寂しさとで涙があふれた。

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