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コラムNo.75

私の感染症歴、ワクチン歴、そして...

明芳会佐藤病院内科
  片 山 江 里 子

私は昭和33年(2歳時)に流行したポリオに感染・発症し、左下肢 麻痺を後遺しました。

その後のポリオワクチンの普及で今やポリオの発症は殆どみられな くなっています。もう少し遅く生まれていたら、私の人生も変わって いたかもしれません。現在の小児期のワクチンラッシュ、大変だと思 いますが感染症予防はとても大切だと実感しています。

「病に苦しむ気持ちはよく分かる、能力不足は努力すれば…」と私が 生きていく為に選んだ道は医師でした。岡山大学を卒業して34年になりますが、入局に当 たって女性医師に難色を示される科もあった時代で、それを撥ね退けるため多くの先輩の 女性医師達は、結婚して子育てもしながら臨床をし、子供が寝た夜中に出てきて研究もと、 人一倍頑張って道を切り拓いていました。そんな中、岡大第三内科はアットホームな雰囲 気で、ありがたく入局。しかし不器用で力のない私には仕事だけで精一杯で、身の丈にあっ た「お一人様」生活を送ってきました。

3年間の尾道市民病院での研修期間中、吐血患者さんも多く、血液の洗礼を何度も受け たものです。まだHCVでなくnonAnonBの時代、そして今ほど感染対策の意識もなく、い つの間にかHBsAb(+)になっていました(尤も、小学生の頃、学校の講堂で日本脳炎だっ たかインフルエンザだったかの集団接種を受けており、当時は1本の注射器〈ディスポで はない〉で何人か続けてということも経験していますが)。

大学病院に戻って約3年半、臨床とラットを追いかけての腎受容体実験に明け暮れてい た頃、30歳を過ぎて、県北のネーベン先で水痘を発症しました。1週間前にその病院で数 人の患者さんを診察しており、翌週の発病 でした。年齢が上がると重症化しやすいと 聞いていましたが、幸い軽めに経過しまし た。しかし当時三内ではステロイドを大量 に内服中の患者さんが多かったので、上司 にお伺いを立てたところ5日間の休みをい ただけました。因みに風疹や麻疹も自然感 染が普通であった時代に育ち、私は三日ば しかの様に軽かったらしい(結局風疹だっ たのか軽い麻疹だったのか未確定)です。

平成元年に現在の佐藤病院に勤務して、一般内科を担当しています。医療事情の変化により、病院創設者の「全ての救急を断らな い」精神から、「一刻も早く専門病院ヘ」の時代になり、患者さん達も変わってきました。 感染対策が叫ばれるようになり、職員のワクチンも入職時のB型肝炎ワクチンや冬季のイ ンフルエンザワクチンが恒例化しました。インフルエンザワクチンに関しては、私は大人 になってからはSARS流行までは受けていませんでしたが、患者さん達から日々少しずつ ウィルスをいただいて抗体を作っていたのでしょう、発症することなく過ごしていました。 患者さんからは、私が特効薬を隠し持っているのでは?と疑われ、それを欲しがられるこ ともあったくらいです。SARS以降は職員全員ワクチン接種が原則となり、私も毎年受け ています。

自分にも可能なスポーツとして、35歳頃から約15年間、年に1回程度ですが、スキュー バダイビングを楽しんできました。パラオ、グレートバリアリーフ、グアム、バリ、セブ や沖縄の島々の美しさ、自然の偉大さを堪能しました。特に沖縄の石垣島では、マンタ(オ ニイトマキエイ)に遭遇し触れ合うこともでき、圧巻でした。悠々と泳ぐマンタが舞い戻っ てきてくれ、触れてもいいよ、といわんばかりに近づいてきたので、私も(本当は触って はいけないのでしょうが)手袋は脱いで触らせてもらいました。滑らかに見えても、やは り鮫肌でした。

定年間近の年齢となった最近では下肢痛の為、行動半径が極端に小さくなっており海ま では出かけられませんが、プールでのリハビリとジャグジーでの温泉気分で明日の活力を 得ています。

 

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