岡山県医師会

TOP >  岡山県医師会の活動 >  役立つ会報Lineup > EnJoi通信

役立つ会報Lineup

EnJoi通信

EnJoi通信のTOPへ戻る

コラムNo.76

父の桜

にいつ耳鼻咽喉科  新 津 純 子

今年も桜の季節になりました。4月上旬、まさに満開の桜や散り始めた枝垂れ桜が目に飛び込んできます。

私は、県南西部の里庄町の有床診療所の耳鼻咽喉科外来と浅口市の耳鼻咽喉科医院の両方で診療をしている関係上、月曜日から土曜日までほとんど両方のクリニックを車で移動する生活を送っています。開花し始めてから散りきるまでの桜木をほぼ毎日観察しているといってよいでしょう。開花前の桜は木全体が桃色に変わってきます。つぼみが色づいていく姿を遠くから見ると桜木全体が桃色に見えるでしょう。それから開花し始め、満開へと日々移り行く姿を見ると春の訪れをひしひしと感じます。誰が教えたわけでもないのに、季節を忘れず、この一瞬のために1年かけて生きてきた桜木に愛しささえ感じます。

そしてもう一つ、桜と一緒に、亡くなった父のことを強く思い出します。

桜が好きだった父は、庭にはあまり植えないといわれる枝垂れ桜を植えました。幼木でしたので生前の父はその桜の咲いた姿は見ないまま逝ってしまいました。その枝垂れ桜は、父の死後数年からやっと花をつけ始めました。数年間、葉ばかり多く、晩夏から秋は落ち葉に悩まされるだけの存在でした。母は、もう切ってしまおうかとさえ言い始めましたが、私は、それは「父の桜」でしたので、生半可な返事でやり過ごしていたのですが、母はどうせ花など楽しめないのだから、今度庭師さんが来たら切ってもらうよう頼むといい始めました。「植物も話しかければ期待に応じてくれる」そんな話を思い出し、枝垂れ桜に向かって、「今年咲かないと、切られちゃうよ、なんとか頑張って咲いてごらんよ」などと話かけました。それが功を奏したわけではないのでしょうが、その年の春には、たくさんではないけれど花をつけました(桜にはちゃんと私の声が届いたと、信じています)。

今年も、有名な枝垂れ桜(樹齢が違いすぎるのでしょう)には足元にも及ばぬ程度の花ですが、春を忘れず咲いてくれました。落ち葉の数に比べると、比較にならないくらいわずかですが…。

父は、平成5年に68歳で逝きました。膵臓癌でした。一応手術はしていただきましたが、予後不良、数カ月の余命だろうといわれました。父には話さず退院。足元のおぼつかない父を広島から車で連れて帰りました。その年は桜の満開時期が少し遅れていて、退院時には道々の桜が満開でした。「生きて帰れるとは思っていなかった、生きて今年の桜を見ることができるとは幸せなことだ。今年の桜は本当に見事だね。」そうつぶやいた父の言葉が心に残っています。父は翌年の桜は見ることはできませんでした。父には、その年の桜が最後の桜だということが分かっていたのだろうと思います。

庭の父の桜は、なかなか花をつけてくれませんでしたが、今年はそれなりの花をつけ、私たちを楽しませてくれました。

自分も父の逝った年齢に近づいた今、ふと考え込んでしまいました。「自分の今までの人生を桜木に重ねたとき、葉を茂らせ、木陰を作り、鳥や昆虫を養いながら過ごす桜木の時間は、この春の開花の一瞬のためにあるように、私はそんな生き方をしてきただろうか?桜のように生きてきたとは到底言いきれない自分を情けないと思うが、詮無いことである。あと何回満開の桜を見ることができるかわからないが、庭の『父の桜』のように少しは花を咲かせることができるよう頑張って生きることにしよう(まあ、これから咲かせるのだから姥桜だろうが……)。」そんなことを考えながら、今年は桜の季節を終えました。

ページトップ