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コラムNo.85

卒後30年の女子(医)会トーク

医療法人 昌陽会 藤本診療所 生田 夏実

大学を卒業して約30数年、学年に30人程女子がいて当時としては多かったと思います。
卒後皆忙しくほとんど連絡を取り合っていませんでしたが、2年前久しぶりに仲が良かったもので会を持ち、その際LINEを立ち上げました。今回この通信のためみんなに意見を聞きました。メンバーは働き方こそ様々ですが仕事を続け、みんな子育て経験者です。

私: 女医として働いてきて思うことを教えて

A: 若い頃は損する方が多かった気がするけど、今は患者さんから女性だから話せると言われることが増えた。

B: 2人目妊娠で完全休職して、復帰についてある男の先生に尋ねたら、「やる気の問題でしょ」と軽く言われた。パート復帰の身としては完全に休むのではなく、週1回でも継続してたらよかったかな。

C: 常勤をしながら2人を出産し、産後8週から復職、保育園とベビーシッターで頑張った。
2人目の幼稚園受験の日患者さんが急変、患者さんが一番とあきらめたが他の先生に引き継げ面接に遅刻、合格はしたけど、これを機にパート医になった。子どもを自分で育てていない感と患者さんの急変に寄り添えない不甲斐なさとから。

私: 仕事のキャリアも充実したい、結婚もしたい、子どもも育てたいと全てを望むのは我儘、贅沢かなぁ~

D: 無理なく全てが望める社会になるべきだと思う。まだまだ子育てや家事は女性がするもので男性は協力して手伝っている感が強い。子どもが小さい頃は目の前のやるべきことをただひたすらにやり、両立できる仕事を選択してやってきた。後悔はしていないけど、もっと女性も無理なく働ける社会だったら自分の仕事の分野は違っていただろうなぁと思う。

E: 男女はお互いが我慢してやってきたと思う。いやそれを選んでやってきたんだ。お互い我慢もあり我儘もあり。その選択がいいとか悪いとかはない。今はもっと選びやすくなっていると思う。後はこれからの生涯設計?

F: キャリア形成と出産育児の時期が重なるからね。結婚が遅くしっかり仕事をし、33歳で妊娠。それでも働きまくっていたら中期死産。パート医となり無事妊娠出産。その後夫婦で開業したけれど、夫とのキャリアは完全に逆転。男女それぞれの役割でお互い譲り合って我慢もし。

C: 私はクリニックで自分のできる範囲で誠意を尽くしているので主人よりダメな医師だとは思った事はない。

A:私を必要としてくれる人が一人でもいたらやりがいを感じられる。

G: 勤務医時代4回流産し開業。自分のペースで仕事をし、2人出産。これまで女性として患者さんに接し、家庭でも子ども、母親、夫を支えてきたつもりが、最近実は患者さんに子どもに夫に支えられていると感じる。

F: 夫は家事も育児もしない。でも文句も言わない。そして診療現場に引き戻してくれるのも夫。女医を奥さんにするメリットとデメリットを噛み締めているのでは。

私: みんなその時最善と思う選択をし、1番大事なことを優先させてきたと思う。やっぱり子どもを出産し育てる時が一番岐路に立つところだね。女性として生まれてきたからには子どもは育てたいし、それは種のつながりとして人類にとって大切なことだと思う。子育てはどうだった?

A: 0歳で子どもを保育園に入れた時、義母に泣かれた。子どもが入院した時「こんなにお母さんと一緒にいられたのは初めて」と言われ、そういう思いをさせていたのだと思った。一番は自分ではなく子どもであるべき、それをふまえて働き方を選ばなければいけないと思う。

C: パートになって幼稚園保護者会の会長になり嫌な経験をしたけど、大人にしてくれた。

A: 子育てをしたから分かる事、楽しめる事があり、それが仕事にも役立っていると思う。

B: 子育て前は付き合うコミュニティが限られていた。子育てで広がり、自分の常識が世間一般では通じないこともあり、より広い考え方を知った。ずっと仕事一筋より患者さんに近い立場で仕事ができるのでは。

D: 3人とも保育園に入れる事ができたし周りの理解もあった。周りに支えられてやってこれた。実際、子どものことで仕事にごめんなさいすることもあった。なのに、みんなのように素直に感謝できる境地に至っていない。釈然としない思いも沸々とあって。

以上、おばさん達の回顧録でした。どんどん女医が増え30年前とは変わってきていますが、まだまだ子どもを育てながらキャリアを積むのは難しいと思います。少子化が進む中、社会全体で子どもを育てる事も考えていかなければいけないのではと感じます。私の友人達の娘も女医を目指しています。さて、次の30年後には何を話していることでしょう。

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