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コラムNo.59

父を看取って

岡山旭東病院 麻酔科
  辻   千 晶

昨年、還暦を迎えました。麻酔科の勤務医を続けながら3人の子どもをなんとか社会人として送り出したころ、世間一般に言われている通りに、親の介護が待っていました。

父は長年の喫煙のため重度の肺気腫を患っていました。75歳を超えたころから肺炎を繰り返し、私の勤務先の病院に何度も入退院を繰り返していました。内科の先生や看護師さん、リハビリのスタッフたちに手厚く治療、看護していただきましたが、徐々に嚥下機能も低下し経管栄養が始まりました。少し落ち着いたところで慢性期の病院に移りましたがまた肺炎を再発し、本人の苦痛は家族として見るに余りあるものでした。

ある日、父はレビンチューブを自己抜去しました。その結果ミトンをはめなければならなくなりました。父はミトンを私に見せて、ほとんど出ない声をふり絞って「罰だ」というのです。抑制の必要性は理解していても、私は悲しくてなりませんでした。経管栄養も痰が増えるだけで、父にとっては苦痛でしかありませんでした。「何度も家に帰りたいと言っていたのに何年も家に連れて帰ることができなかった。これが連れて帰る最後のチャンスかもしれない」と思い、家族、親戚に相談の結果、経管栄養もやめて家で看取ることを考えました。しかしすぐに決心できず悩んでいたころに岡山で日本死の臨床研究会があり、東京大学の会田薫子先生の講演を聞く機会がありました。会田先生のお話は、延命処置によって人間らしい死に方ができない現代の医療に警鐘を鳴らすものでした。私は父らしい最期を迎えさせようと家に連れて帰る決心をしました。父に「2.3日家に帰ってみようか?」と話しかけたとき、それまで苦痛にゆがんでいた父の顔がぱーっと明るくなり、うんうんとうなずいたのです。私はその時、自分の決断は間違っていないと確信しました。

家に連れて帰るにあたっては、ケースワーカーやかかりつけ医の先生、訪問看護の方に大変お世話になりました。家に帰った父は、台所やテレビの音、家族の会話などを遠くに聞きながらうとうとしていました。表情はおだやかでした。口からは何も入りませんでしたが、好きだったお酒をなめさせてもらったりしていました。孫や親しい知人も訪ねてきてくれました。家に帰って6日目の朝、85歳で静かに息を引き取りました。

人生の最期に無駄な延命はしたくない、畳の上で死にたいと思う人は多いですが、在宅で看取ることは簡単ではありません。父を家で看取ることができた要因は、判断材料や相談できる人が身近にいたこと、吸引などの医療行為が自分でできたこと、看病が短期間であったことなどです。もちろん往診や訪問看護がなければできませんでした。

人生の最期をどういう形で看取ってあげるのがいいのか? ICUで高齢者の気管切開を行いながら、これでいいのか?と悩ましく思う日々です。

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