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コラムNo.86

私の仕事と暮らし

河田病院 副院長 山下 龍子

現在、私は単科の精神科病院に勤務しています。平成29年で創立90周年を迎える河田病院です。病棟は精神科急性期、精神科慢性期、精神科開放、身体合併症、そして認知症に機能分化しており、私は51床の重度認知症病棟を担当しています。

認知症を病むと認知の障害は進行し深まっていきますが、感情の障害は認知障害と並行して同じように低下するわけではありません。世間の方は、「ぼければ、何もかもわからなくなるから本人は楽なものだ。」と言われますが、これは大変な誤解です。認知症を病む人の多くは、自分ができなくなることを敏感に感じ取り、これから先どうなるのか不安に怯えていることが多いのです。その不安が周辺症状と呼ばれる症状を生んでいきます。

外来に来られた方に対して、まず私が心がけていることはその方がどのように生きてこられたのかということを伺うことです。ご本人やご家族から情報をいただきます。こちらの伺う姿勢によってご本人も一生懸命に答えてくださいます。次に、今抱えておられる症状に思いをめぐらし治療の計画を立てていきます。

長い年月を生きてこられた方々は、多くの物語にあふれています。日々の外来は出会いの場でありたいへん興味深く、このような仕事に従事できることに感謝しています。

続いて、日常の暮らしについてお話します。春になると辺り一面が黄色の菜の花であふれる、そのような田舎で私は育ちました。母は花が大好きで、毎朝野や山に出かけてはそれを家のあちこちに活けるのです。活けた後はスケッチをして、「この花は低く。この枝は長く。」などと書き込んでいました。子供の私は母のスケッチを眺めるのが好きでした。花は地味な花瓶に3種類から5種類ほど活けてありました。世の中には美しいものがあるのだなと思ったものです。

長じてからも私にとって花といえば野や山に咲く小さな花でした。でも住居を街に移すとなかなかそのような花は手に入りません。そこで、自分で鉢に植えて育てることにしました。ところが苗もなかなか手に入りません。愛好家の方々にいただいたり、種から育ててみたりしました。私は大方の時間をこのような山野草と過ごしました。そして育てた花を、母のように地味な花器に活けて楽しみました。

十数年前から茶の湯の世界を知りました。岡倉天心はその著書「茶の本」の中で、「茶道の根本思想は、暮らしの細々とした事柄のうちに美しさを見出すことにある。」と紹介しています。一碗の茶を飲むための茶室は、水屋、待合、露地から成っています。待合から茶室に通じる露地は瞑想の路です。そこは、外界との関係を断って、新しい感情を起こさせてくれる場所なのです。露地の庭石を伝って歩くとあたかも自分が森の中にいるような感じがします。茶室に着くと狭いにじり口からにじって入り、床の間の軸や花に敬意を表します。

茶人の花は四季の移ろいと密接な関係を持っており、私たちの心に訴えます。冬の終わりの頃茶室に入れば、白梅の小枝に蕾の椿が取り合わせてあるのを見ることがあります。そこには去っていく冬のなごりと、来る春の予感が合わさっています。初夏になると、笹百合、鉄線、唐松草、白糸草、撫子、宝鐸草(ほうちゃくそう)、蛍袋(ほたるぶくろ)、杜鵑草(ほととぎす)、仙翁(せんのう)などが大ぶりの籠の花入れに活けられます。山のそよ風が肌に感じられるようです。花器は床の間に、強い存在感をもって据えられます。茶室では野の花も他の道具と同様に主役の座を与えられるのです。

千利休は「花は野にあるように」と言っています。しかし、それはただ活けるのではなく、野花の命を盛り込むことに意味があるということです。茶の湯を始めてみて、母の花が、利休の言う「花」であったことに気付きました。そして、今さらながら亡き母が日常の中に見出そうとしていた美に思いをめぐらすのです。

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