玉野市医師会史
1.医師会誕生以前
明治15年 6月 郡区衛生会(現在の保健所運営協議会)規則が布告
明治18年 2月 岡山県布達により「岡山県開業医組合規則」が定められる
明治19年 1月 岡山県開業医組合規則施行(1月1日)
岡山医師組合を設置
各地で組合が組織され郡市医師会に発展していった
児島郡内に医師が私設組合を設置した
明治39年 5月 医師法が公示される
明治40年 6月 児島郡医師会が設立(6月21日)
大正 8年 8月 医師法改正により医師会は強制設立となる
大正 9年 3月 岡山県医師会も法定医師会となる(3月31日)
同時に児島郡医師会も法定医師会として発足した
ここで児島郡医師会は岡山県医師会に加入した
2.玉野市医師会誕生
昭和12年12月 岡山県告示を以て官制の岡山県医師会が発足
玉野三井病院開設と共に三井病院の看護婦供給を目的として准看護婦
教育が開始される
昭和15年 4月 玉野市の市政施行に伴い、玉野地区は児島郡医師会より分離し、玉野市
医師会が誕生し、医師会事務局を三井病院に置いた
昭和17年 2月 医師法が改められて戦時下のため国民医療法が公布され、医師会は解散
国家的意義が明記され医師はこれに強制加入、医師会長は官選となり
医師会の性格が大きく変貌し、岡山県医師会が設立され、玉野市医師会は
岡山県医師会玉野支部となり、医師会長は支部長と呼称した
3.終戦から
昭和20年 1月 終戦後旧体制が崩壊し、新生医師会設立要綱を作成
昭和22年 5月 同要綱を発表(5月30日)
昭和22年11月 日本医師会の設立に併せて県郡市一斉に新生医師会として発足した
(11月1日)
昭和27年 1月 市立玉野療養所の開設(玉野市民病院の前身)
昭和29年 4月 准看護婦教育が三井病院から玉野市医師会に委託され医師会立玉野准看護
婦養成所として開設となる(4月1日)
昭和30年10月 市立玉野療養所を市立市民病院と改称
昭和33年 岡山県医師会国保発足
昭和40年10月 玉野市医師会が消防署に救急車を寄贈(玉野市で最初の救急車)
昭和41年 4月 休日当番医制事業開始(日曜日のみ)
昭和43年 5月 玉野市医師会報発刊(創刊号)
昭和43年 6月 杏林会納税貯蓄組合結成
昭和44年 4月 玉野市医師会慶弔規定設定
昭和45年11月 玉野市医師会創立30周年式典 会場:渋川荘(11月3日)
昭和46年 3月 教育法の規程により、医師会立玉野准看護婦養成所学校が玉野准看護婦学
校に名称を変更した(3月19日)
昭和48年 4月 日曜日以外の祝祭日と1月2日、3日の休日診療当番医制の実施
昭和48年10月 市立玉野病院を田井から宇野2丁目に新築移転
医師会事務局を玉野三井病院から同病院内に移転(10月1日)
昭和54年 1月 協力病院輪番制実施(1月1日)
昭和56年 1月 創立40周年記念式典 会場:渋川荘(1月15日)
昭和59年 4月 玉野准看護学校が男子生徒受け入れ開始(4月1日)
昭和61年 6月 玉野市医師会生涯教育始まる
昭和62年 2月 玉野地域産業保健連絡協議会発足(2月17日)
平成 5年 3月 玉野市医師会50周年記念誌発行
平成 5年 8月 第1回救急業務推進懇談会(8月24日)
平成 8年 4月 玉野・児島地域産業保健センター開設(4月1日)
平成10年 1月 第1回玉野市臨床研究会スタート 会場:ガウディ・パーク
(1月15日)
平成10年 3月 玉野准看護婦学校を閉校する(3月31日)
平成10年 4月 玉野看護福祉総合専門学校が開校(4月1日)
平成12年10月 設立60周年記念式典 会場:瀬戸内国際マリンホテル(10月15日)
平成13年 9月 リラクゼーション&ダイエットカプセル1基玉野市へ寄贈
玉野市医師会事務局が「すこやかセンター」へ移転
電動ベッド2基、車椅子10台を玉野市民病院へ寄贈
平成16年 8月 台風16号により、田井・築港・宇野・玉地区の診療所が被害をうける
(8月30日)
平成16年11月 AED1台を玉野市に寄付
平成22年10月 玉野市医師会創立70周年記念誌発行
平成25年 3月 玉野市医師会情報サイト開設
平成25年 5月 玉野市医師会臨時総会 渡邉正俊先生が新会長へ就任(5月26日)
令和 4年10月 玉野市医師会創立80周年記念誌発行
令和 6年 4月 玉野市医師会理事会 近藤潤次先生が新会長就任(4月1日)
令和 7年 1月 独立行政法人玉野医療センターたまの病院開業(1月1日)