TOP > ピックアップコンテンツ > 岡山県医師会の歴史 > 河田大作 会長時代
1948(昭和23)年1月15日の第2回臨時代議員会(岡山市弓之町、就実高 等女学校)で河田大作会長が選出された。
最大の業績は医師会館の建設。岡山市東田町にあった県医師会館は、1945(昭和20)年6月29日の岡山空襲で灰燼と帰し、副会長宅、その後県庁舎の一部を仮所としていた。河田執行部が誕生するといち早く会館建設を決意、1948(同23)年3月の第4回定例代議員会で承認された。曲折を経て敷地は岡山市天神町にある天神山の旧東警察署跡地に決まる。建設費は259万円。入札で竹中工務店が落札。1948(同23)年11月13日地鎮祭、1949(同24)年5月20日竣工、6月12日落成式。総建坪340平方㍍、木造モルタル2階建て。当時、岡山市医師会員は一人3000円、郡市医師会員は同2500円を負担した。戦後の窮乏と混乱下にある中で、河田会長と会員の熱意が実り、早期かつ当時としては立派な会館が誕生した。
岡山県医師会報の発刊にも取り組み、1950(昭和25)年3月1日に創刊号が発刊された。これまで廃刊状態にあった岡山医学会誌を県医師会が支援して復刊、そこで会員への情報提供などを行っていたが、発行回数が年3、4回に過ぎなかったため、独自で発刊することになった。
この間、医療法の制定(1948年7月30日制定、病院と診療所の区別、総合病院制度など)、優生保護法(同年7月13日公布)による指定医の選定。事業税反対闘争、社会保険危機突破闘争などがあった。社会保険診療報酬支払基金が設立され、岡山県は同年7月19日発足した。