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岡山県医師会の歴史

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14 井戸俊夫 会長時代(2008年4月~2012年3月)

2008(平成20)年2月9日の第167回臨時代議員会の役員選挙で、井戸俊夫が末長敦を破り、新会長に選出され、同年4月から新執行部が船出した。井戸新会長は、「小泉政権の医療制度改革による医療荒廃の建て直しへ国民を味方につけた医師会活動の推進、地域医師会の意見重視と日医への主張と協調、公益法人制度への対応などを進める」とした。

<第1次 井戸俊夫 執行部・2008年4月~2010年3月>

会長
*井戸俊夫
副会長
*丹羽国泰、*森藤忠夫
専務理事
*笠井英夫
理事
道明道弘、大本佐和子、糸島達也、田中茂人、梶谷 喬、前島皎仁、中島豊爾、山崎善久、谷本光音、*清水信義、*木村 丹、*中村淳一、*土井基之、*佐能量雄
監事
木本克彦、*島村淳之輔
社会保障部長
森藤忠夫
同副部長
*道明道弘
福祉部長
石川 紘
同副部長
藤田愼一
日医代議員
井戸俊夫、森藤忠夫、山崎善久、梶谷 喬、丹羽国泰、笠井英夫

(*は新任)

県医師会は、2008(平成20)年4月16日の理事会で同月からスタートした後期高齢者医療制度への反対を決議し、決議文を首相、衆参両院議長、厚労相、日医、県選出国会議員など関係先に送付。患者負担増や主治医制導入で患者のフリーアクセス受診の抑制に繋がるとした。6月1日には「後期高齢者医療制度を考える集い」を岡山市の岡山衛生会館三木記念ホールで開催、各講師が同制度の問題点を指摘した。県民ら約150人が参加した。

第31回日本プライマリ・ケア学会2008岡山

第31回日本プライマリ・ケア学会2008岡山が、「いのち 健康支援から看取りまで」をテーマに、同年6月13日から15日まで岡山市の岡山コンベンションセンターで開催され、全国から医師、医学教育者、歯科医師、薬剤師、看護師、管理栄養士ら2700人が参加した。開会式では、井戸県医師会長が「病院から在宅へという大きな流れの中、プライマリ・ケア学会の役割が一段と増している。議論と通じ意義深い大会にしてほしい」と挨拶した。期間中、市民公開講座、講演会、企画展示(美作の医人・箕作家一族、宇田川家3代に焦点)、シンポなど多彩な行事が行われた。

岡山県医師会など25団体で組織する岡山県国民医療推進協議会が、「地域医療崩壊阻止のための決起大会」を同年7月27日、全国に呼応して開催、地元選出国会議員、竹嶋日医副会長ほか約600人が参加した。大会では小泉内閣が進めている社会保障費の年2,200億円削減撤廃などを決議した。

社会保障費削減反対・地域医療崩壊阻止の意思表示として、イエローカードを示す「黄色いリボン運動」を展開、胸にリボンを付け診療などに当たった。

9月には井戸会長と山崎理事が、岡山県議会に古山泰生議長を訪ね、来年度予算編成に当たり県医師会への補助金、委託金をこれ以上減らさないよう要望書を手渡した。

国が推進している「レセプトオンライン請求完全義務化」に関して、医療界の混乱を招くとして2008年11月、県医師会・郡市医師会が撤廃を求める決議をしたことを受け、12月岡山衛生会館で県医師会と地元選出の自民・民主党国会議員と意見交換会を持った。医師会側は、小規模医療機関の廃業により地域医療崩壊をもたらす、入力作業が容易でない―などとして反対を主張した。

※日本医師会では2008年4月、第118回定例代議員会で任期満了に伴う会長選挙が行われ、現職の唐澤祥人(よしひと)会長が再選された。

2009(平成21)年4月、県医師会定例代議員会で議長改選行われ、議長に池田元子代議員(高梁)、副議長に柴田浩代議員(邑久)がそれぞれ無投票で選出された。

2009年、新型インフルエンザが世界的に流行し、日本でも5月感染者が多数出たことを受け、岡山県は対応を協議、感染症指定医療機関に患者受け入れ態勢を要請。県医師会も「対策本部」(本部長・井戸俊夫会長)を設置するとともに郡市医師会救急・感染症担当理事会議を開催した。インフルエンザ関連について医療関係者と行政等を結ぶメーリングリストを立ち上げ、併せて情報を提供するホームページを開設した。

県医師会は2009年9月6日(日)、岡山市内のホテルで「介護について~一緒に考えましょう~」をテーマに県民公開講座を開催、講師の一人が女優の小山明子さんとあって約600人が詰め掛けた。脳出血で倒れた夫の大島渚監督を介護する体験談を語った。

本会の清水信義理事が、2009年度の岡山県三木記念賞を受賞した。岡山大学医学部第二外科教授時の1998年10月、国内初の生体部分肺移植を成功させる快挙を成し遂げた。

永山克巳元県医師会長が、2009年度の日本医師会最高優功賞を授賞した。永年、地域の保健・医療に貢献したことに対して。

※2009年7月21日、麻生首相は衆議院を解散、総選挙に突入。8月30日、投開票され、民主党が絶対安定多数を超える308議席を確保し、自民党から民主党への政権交代が実現する。9月16日、第172回国会で鳩山由紀夫内閣が発足し、社民党・国民新党との連立政権が誕生した。

県医師会は2009年11月、政権交代後初の民主党岡山県連と意見交換会を持ち、診療報酬アップや日医外しの中医協人事などについて意見・要望した。また、中国四国医師会連合の一員として各県医師会との連名で、鳩山総理大臣宛に①医療費を増額し、国民皆保健を堅持する②中医協などの人事では地域医療の代表である日医執行部から選出する―の要望書を提出した。

<第2次 井戸俊夫 執行部・2010年4月~2012年3月>

2010(平成22)年2月20日の第172回臨時代議員会で任期満了に伴う役員改選が行われ、井戸会長が無投票で再選された。

会長
井戸俊夫
副会長
森藤忠夫、石川 紘
専務理事
笠井英夫
理事
山崎善久、道明道弘、木村 丹、清水信義、中島豊爾、糸島達也、中村淳一、田中茂人、*國富泰二、*松山正春、*塚本眞言、*岡部史朗、*神﨑寛子、*江澤和彦
監事
木本克彦、島村淳之輔
社会保障部長
森藤忠夫
同副部長
道明道弘
福祉部長
石川 紘
同副部長
藤田愼一
日医代議員
丹羽国泰、森藤忠夫、石川 紘、笠井英夫、清水信義、池田元子

(*は新任)

県医師会は7月、共産党県議らと初めての懇談会をもち、国の医療政策などを巡り意見交換を行った。県医師会側は、日医の医療政策を説明する一方党側とは2008年4月から実施されている後期高齢者医療制度反対や国民皆保険制度を守ることで意見の一致をみた。

第23回全国有床診療所連絡協議会岡山大会(井戸俊夫会長)が「地域医療を守る有床診療所に未来を!―安定経営が安心医療を提供―」をテーマに、2010(平成22)年7月31日から8月1日岡山市の岡山コンベンションセンターで開かれ、全国から約470人が参加した。期間中、昨年度の事業報告、今年度の事業計画、同予算、井戸副会長ら新役員などを承認したほか原中日医会長らの講演、シンポジウムが行われた。

紀伊半島沖を震源とするマグニチュード8.6の東南海・南海地震が発生したとの想定で大規模な総合防災訓練が、2010年9月5日岡山市内尾の県内尾グラウンドで県医師会など県内約90団体が参加して行われた。県医師会は、心肺蘇生訓練用人形「トシオ君」を持参、市民にAEDを使った心肺蘇生の仕方を指導した。

井戸俊夫会長が「救急の日」2010年9月9日、救急功労者として総務大臣賞を授賞。理事長を務める医院が長年にわたり救急搬送患者の受け入れ積極的に行うとともに救急隊員の教育や指導など岡山市の救急医療体制の整備に尽くした。県医師会長として県メディカルコントロール体制の構築に力があった。

※2010年4月1日、第122回日本医師会定例代議員会で役員改選が行われ、原中勝征が唐澤祥人、森洋一との激戦を制し、第18代日医会長に選出された。

※岡山大学医師会が、2010年5月発足。初代会長に小出典男教授。同会は郡市医師会と同格で約150人が加入。

東日本大震災の被災地へJMATおかやま派遣
巨大津波で甚大な被害を受けた石巻市
医療活動を行うJMATおかやまチーム=石巻市の湊小学校

2011年3月11日午後2時46分、死者・行方不明者1万8,455人と戦後最悪と自然災害となった東日本大震災が発生、さらに大津波で東京電力福島第一原発が破壊され、放射能漏れという未曾有の事態に陥った。県医師会では翌日、災害対策本部(本部長・井戸俊夫会長)を設置するとともに井戸会長、松山理事らが福島県いわき市に飛び、13日いち早く現地入り、市内12カ所の避難所を視察した。14日午前帰岡、午後衛生会館で記者会見を行い、現地の惨状や医療態勢などについて報告した。

同時に会員に働きかけ、「JMAT(日本医師会災害医療チーム)おかやま」を急遽編成、20日第1陣が宮城県南三陸町に急行、避難所で医療救護活動に当たった。第2陣は24日同県石巻市に派遣、石巻赤十字病院に設置された石巻圏合同救援チームに配属された。以後、JMATはこのエリアにある湊小学校で医療支援に従事。その活動は計32チーム(医師、看護師、薬剤師、事務員を基本とし、1チーム3~5人で編成)延べ122人、7月1日まで102日間にわたった。

並行して会員を対象に義援金を募る一方、3月18日井戸会長、笠井専務理事ら役職員が岡山駅東口で募金活動を行った。また、県医師会では義援金として3,000万円を日本医師会に寄託した。

元岡山県医師会長の永瀬正己氏が2011年3月13日、96歳で天寿を全うした。氏は1939(昭和14)年岡山医科大学卒業、海軍軍医などを経て1947(同22)年、岡山市に内科医院を開業、岡山市医師会長、岡山県医師会理事、同副会長などを経て1982(同57)年4月から1988(同63)年3月まで岡山県医師会長を務め、中央とのパイプを生かしながら県の医療界を牽引した。腎バンクや禁煙運動の普及などにも積極的に取り組んだ。また、日本医師会理事(1980~1982年)、同代議員会議長(1988~1992年)の要職にも就いた。日医理事の2年間は、臓器移植を巡って脳死をはじめ生命倫理への対応が医療界の大きな課題で、日医の検討会では委員長を務めた。同代議員会議長就任時には、まず議場から灰皿撤去を提言、愛煙家の反対を抑えて医師会館の禁煙を断行したというエピソードも。趣味の油彩は広く知られた。

2011年4月3日開かれた第175回県医師会定例代議員会で、任期満了に伴う議長、副議長選挙が行われ、議長に池田元子、副議長に柴田浩がそれぞれ無投票で再選された。

映画「エクレール お菓子放浪記」のチャリティー試写会(岡山県上映実行委員会主催)が2011年8月9日、岡山市中区古京町の岡山衛生会館三木記念ホールで開かれ、ほぼ満員の約600人が来場した。戦中・戦後混乱期に孤児がお菓子に出会い、希望の光を見出すとともに人の優しさを知る物語。ロケ地は、県医師会がJMATおかやまを派遣した石巻市など宮城県内5市町村。エキストラ出演した地元の人の中には津波で亡くなった人もおり、出演した林隆三、いしだあゆみらは会場で義援金を呼び掛けた。実行委員会は「映画を通じて被災地への支援の輪を広げよう」と井戸県医師会長や県内の福祉関係者を中心に組織された。

永山克巳元岡山県医師会長(82)が2011(平成23)年度の三木記念賞を受賞。2011年9月2日、岡山市中区古京町の岡山衛生会館で授与式が行われ、石井正弘知事から表彰状が授与された。永山元会長は、ほぼ四半世紀にわたり岡山県医師会理事、副会長、会長を歴任、1994(平成6)年から3期6年の会長時代は高校の看護科開設や産業医の拡充、救急医療体制の充実など地域医療に貢献した。また、岡山県公安委員会委員長も務めた。

新医師会館用地を説明

2011(平成23)年10月1日開かれた第176回県医師会臨時代議員会で、県医師会の最重要事項の一つである新医師会館の進捗状況が、執行部から報告された。理事会での決定に従い、同年9月30日現在、岡山駅西口の同市北区駅元町の岡山コンベンションセンター北隣に地権者12人から計472坪(1,559㎡)の用地を取得。買収総額は6億1,895万円。同地にしたのは、岡山駅西口という交通至便で県内外から来館しやすいほか情報発信が容易。自前で約50台、周辺に600台以上収容できる駐車場が完備していることが理由。今後、新会館設立準備委員会を設置し、構想を検討していく方針で広く会員からオープンな要望・意見を求めていくとした。

小谷秀成元県医師会長が日本医師会最高優功賞、笠井英夫本会専務理事が日本医師会優功賞をそれぞれ受賞した。小谷元会長は岡山市医師会、岡山県医師会の理事、副会長、会長として四半世紀にわたりリーダーシップを発揮する一方、乳がん検診の認定医制度を設け、乳がんの早期発見、早期治療を図るなどがん対策を推進した。また、岡山県精神科夜間・休日相談センター事業や夜間・休日の小児救急医療電話相談事業を展開するなど地域医療の充実に功労があった。笠井専務理事は日医の各委員会委員として10年間貢献した。2011年11月1日、東京の日医会館で開かれた第64回日医設立記念医学大会で表彰された。また、井戸県医師会長に東日本大震災でJMATを派遣した43都道府県を代表して原中日医会長から感謝状が授与された。

岡山シーガルズにAED1台を寄贈

県医師会が、2011年12月21日、バレーボールVプレミアリーグの岡山シーガルズにAED1台を寄贈した。県医師会などが岡山市内で開いた市民のための救命講習会に選手8人が参加したが、チームにはAEDがないことから贈呈となった。3カ月前、サッカー元日本代表選手が練習中、心筋梗塞で急死した事態が発生したばかり。

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