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岡山県医師会の歴史

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12 小谷秀成 会長時代(2000年4月~2006年3月)

2000(平成12)年2月5日の第147回臨時代議員会で役員改選が行われ、勇退を表明していた永山克巳会長の後任に小谷秀成が初当選した。

<第1次 小谷秀成 執行部・2000年4月~2002年3月>

会長
*小谷秀成
副会長
*末長 敦、*平野隆茂
専務理事
*福岡英明
理事
広瀬周平、岡崎邦泰、梶谷 喬、川崎祐徳、大森文太郎、渡辺好政、丹羽国泰、内田玄桂、藤田愼一、山崎善久、石川 紘、小武守研二、井戸俊夫、森藤忠夫
監事
大谷晴彦、楠本 亨
社会保障部長
末長 敦
同副部長
森藤忠夫
福祉部長
*石川 紘
同副部長
藤田愼一
日医代議員
末長 敦、小谷秀成、平野隆茂、森田善雄、森下和郎

(*は新任)

小谷会長は重点事業として、岡山衛生会館を医師会活動の拠点に有効に機能させ、財政健全化を図る▼介護保険対策は、行政・関係団体と連携し、円滑な実施に向け努力する▼医療情報システムを充実して郡市医師会と双方向のやりとりで意思疎通を図る▼新しい医学・医療の知識とスキルを習得できるよう生涯教育を充実させる▼会員、マスコミに対し広報活動を活発化させる―とした。

FM岡山で「あなたのための保健室」放送

2001(平成13)年4月から新たにFM岡山で毎週金曜日午前10時15分から5分間、「あなたのための保健室」を放送。県医師会の認知度向上と県民への医療情報提供を目指した。

2001年4月の第150回県医師会代議員会で代議員会議長に森下和郎(吉備)、副議長に西下明(津山市)がそれぞれ無投票で選ばれた。

医療制度改革反対運動

「聖域なき構造改革」を旗印とした小泉内閣は、医療分野においても経済財政諮問会議、総合規制改革会議での答申を基本方針としたが、それを受けて2001年9月、厚生労働省は医療制度改革試案を発表した。これに対し日医など医療界は、医療機関への株式会社参入、保険者の機能強化(保険者と医療機関の直接診療契約)、混合診療導入などは断固容認できないとして全国規模の反対運動を展開。岡山県医師会は8月、反対声明を出すとともに、小谷会長を先頭に地元選出の衆参両院議員への働きかけ、署名運動、地元紙の山陽新聞に意見広告を掲載(同年10月25日付)するなど強力に反対運動を繰り広げた。

※2000年4月1日から介護保険制度が施行される。

※坪井栄孝日医会長が、2000(平成12)4月の役員改選で無投票で3選。また、同年10月、第52代世界医師会長に就任。日本人会長は、1975年の武見太郎元日医会長に次いで2人目。

※永瀬正己元県医師会長が2000(平成12)年度の三木記念賞を受賞、9月4日、岡山衛生会館で授賞式が行われた。

※改正健康保険法が2001(平成13)年1月1日から施行され、高齢者の医療費は1割負担となった。

※中央省庁再編。2001(平成13)年1月6日、縦割り行政による弊害をなくし、内閣機能の強化、事務及び事業の減量、効率化を狙いに中央省庁が再編統合された。それまでの1府22省庁は、1府12省庁に再編された。厚生省は労働省と統合され、厚生労働省となった。初代厚労相は坂口力(公明)、事務次官は岡山県出身の近藤純五郎。

<第2次 小谷秀成 執行部・2002年4月~2004年3月>

2002(平成14)年2月9日の第152回臨時代議員会で役員改選を行い、小谷秀成が無投票で再選された。

会長
小谷秀成
副会長
末長 敦、平野隆茂
専務理事
福岡英明
理事
藤田愼一、小武守研二、石川 紘、川崎祐徳、渡辺好政、梶谷 喬、森藤忠夫、丹羽国泰、山崎善久、広瀬周平、大森文太郎、井戸俊夫、岡崎邦泰、*笠井英夫
監事
楠本 亨、河原大輔
社会保障部長
末長 敦
同副部長
森藤忠夫
福祉部長
石川 紘
同副部長
藤田愼一
日医代議員
末長 敦、平野隆茂、内田玄桂、森下和郎、小谷秀成、福岡英明

(*は新任)

2期目に当たり、小谷会長は「医療界は医療制度改革問題など未曾有の難局を迎えている。緊張感とともに謙虚さを失わず、粉骨砕身、会務に邁進したい」とし、以下の諸項目を重点施策に掲げた。

  • ・岡山衛生会館の堅持
  • ・郡市地区医師会との連携強化
  • ・勤務医対策として入会の促進
  • ・若手医師、女性医師による医師会活動への参加
  • ・生涯教育の充実
  • ・情報システムの充実強化
  • ・広報の活発化

2002(平成14)年8月、県医師会に女性医師の立場から住民の医療・福祉のニーズを反映させるとともに女性医師同士の親睦と社会的向上を図ることを目的として「女医部会」が発足。初代会長は小山武子(岡山市)。

3割負担反対運動
チラシを配り「3割負担反対」を訴える小谷会長(右から2人目)、福岡専務理事=岡山市表町

政府は「聖域なき構造改革」の名の下に、2002年7月、健保法を改正し、高齢者自己負担増を導入したが、さらに2003年4月から実施しようとしている被用者保険3割自己負担に対して、県医師会は受診抑制に繋がり国民皆保険制度の崩壊にも繋がりかねないとして、同年1月26日付の山陽新聞に反対の「意見広告」を出した。また、県歯科医師会、県薬剤師会、県看護協会に共闘を呼び掛けるとともに、小谷会長ら役員は2月12日、岡山市内の天満屋付近、岡山駅、一番街などで市民に「3割負担反対」のチラシを配った。さらに、桑山県議会議長に請願書、石井県知事に要望書をそれぞれ提出した。

重症急性呼吸器感染症(SARS)が中国などで発生、世界に拡大したことを受け、岡山県でも対応訓練が、2003(平成15)年5月30日、県、市町村、県医師会、岡山大学病院など参加して岡山大学病院で行われた。図上訓練、患者輸送訓練、講習会などを実施、万一に備えた。県医師会では、会員に対策マニュアルを送付し、対応の徹底を図るとともにホームページで県民に最新情報を提供した。

初の県民健康集会

「自分で健康を守るために」をテーマに初の県民健康集会(県医師会、県歯科医師会、県薬剤師会・県看護協会・県愛育委員連合会主催)が、2003(平成15)年8月3日、岡山市の岡山衛生会館で開かれ、県民約250人が参加した。小谷会長の挨拶に続き、高知女子大学長・岡大名誉教授の青山英康氏が講演、引き続き、福岡県医師会専務理事の司会でシンポジウムが行われた。ホールでは健康相談コーナーも設けられた。

“私なき献身”として知られる故三木行治知事生誕100年を記念する会が、2003(平成15)年9月3日、岡山市の岡山衛生会館三木記念ホールで開かれ、参加した約400人の県民らは三木知事の功績と人柄をしのんだ。県医師会の肝いりで実現した会。講演では医事評論家の水野肇氏がエピソードを紹介、その愛された人柄にふれた。知事の音頭で設立された桃太郎少年合唱団が、美声を披露して花を添えた。

寸劇でSARS対応研修
役職員の熱演で会場を沸かせたSARS対応研修の寸劇

寸劇による重症急性呼吸器感染症(SARS)研修会が2003(平成15)年12月20日、岡山市の岡山衛生会館三木記念ホールで行われ、会員ら約350人が参加した。世界保健機構(WHO)が7月に終息宣言を出したにもかかわらず、12月に台湾で感染者が確認されたことから、県医師会の役職員が医師や患者ら演じるという新形式で“その時”に備え、対応策を学んだ。雪下日医常任理事の講演もあった。

※2002年4月、日医定例代議員会で役員改選が行われ、会長選は坪井栄孝が西祥太郎を破り、4選を果たした。

※新生医師会第6代会長・元日本医師会理事の森藤靖夫氏が2002(平成14)年9月1日、急性心不全のため90歳で死去。4日、岡山市の蓮昌寺で行われた葬儀・告別式では坪井栄孝日医会長、長田昭夫中国四国医師会連合委員長(鳥取県医師会長)ほか会員多数が参列、永山克巳岡山県医師会顧問が弔辞を述べ、その功績をたたえた。森藤氏は一中、六高を経て東京帝大医学部卒。同大伝染病研究所勤務の後、終戦まで陸軍軍医として従事。1949(昭和24)年、岡山市柳町に森藤内科医院を開院、戦後の地域医療を支える一方、翌年、岡山市医師会理事就任、同副会長を歴任。1970(昭和45)年、岡山県医師会長となり、3期6年にわたり同医師会を牽引、その医師会活動は30年近くにわたった。

※広瀬周平本会理事ががん撲滅に貢献した個人・団体に贈られる2003年度「松岡良明賞」を受賞、9月10日、授賞式があった。

<第3次 小谷秀成 執行部・2004年4月~2006年3月>

2004(平成16)年2月7日の第157回臨時代議員会で役員改選があり、小谷秀成が無投票で3選された。

会長
小谷秀成
副会長
末長 敦、平野隆茂
専務理事
*岡崎邦泰
理事
藤田愼一、小武守研二、井戸俊夫、笠井英夫、川崎祐徳、丹羽国泰、石川 紘、梶谷 喬、大森文太郎、森藤忠夫、山崎善久、渡辺好政、*糸島達也、*時末 充
監事
河原大輔、*馬場 清
社会保障部長
末長 敦
同副部長
森藤忠夫
福祉部長
石川 紘
同副部長
藤田愼一
日医代議員
平野隆茂、福岡英明、小谷秀成、森下和郎、岡崎邦泰、末長 敦

(*は新任)

小谷会長は基本姿勢として、会員の声を十分に聴き、会運営に反映させる▼郡市医師会との関係強化に努める▼会の運営・事業を極力オープンにする▼日医との交流を活発にし、日医を支えていく―などとした。

2004(平成16)年4月、日本医師会定例代議員会で任期満了に伴う会長選挙が行われ、植松治雄(大阪)と青柳俊(北海道)の一騎打ちとなり、植松が初当選した。本会の小谷会長は、監事として新執行部に参画した。

2004年6月19日午後8時半から、岡山空港で初の夜間航空機事故訓練が実施され、岡山県との防災協定に基づき、県医師会、岡山市医師会連合、日赤岡山県支部、川崎医科大付属病院、国立病院機構岡山医療センターなどから230人が参加、本番さながらにトリアージ、応急処置などの訓練を行った。8回目になる今回は初めての夜間実施。

小児救急医療電話相談

小児救急医療電話相談が、県の委託を受けて2004(平成16)年7月31(土)からスタート。小児を持つ多くの県民から望まれていた同事業は、小児科医が土曜、日曜、祝祭日、年末年始の午後6時から同11時まで相談に応じることになった。

2005(平成17)年4月開かれた第160回県医師会定例代議員会の議長・副議長選挙で、議長に森下和郎(吉備)、副議長に亀山英之(岡山市)がそれぞれ選出された。

保健文化賞受賞
保健文化賞を受ける小谷会長(左)

県医師会が、公衆衛生分野で最も権威ある賞とされる第57回保健文化賞を受賞した。2005(平成17)年10月5日、東京・ホテルオークラで授章式が行われ、小谷会長に主催の第一生命保険・斎藤勝利社長から感謝状と賞金、尾辻厚生労働相からの表彰状がそれぞれ贈られた。がん登録事業の積極的な推進をはじめ、精神科の夜間・休日相談事業、小児救急医療電話相談事業などの活動によって県民の保健医療に貢献したことが評価された。翌6日、小谷会長ら受賞者は皇居に赴き、天皇・皇后両陛下に拝謁した。

本会の岡崎邦泰専務理事(くにとみ外科胃腸科医院院長)が「松岡良明賞」受賞(2004年9月)。

岡山県生活習慣病対策協議会が2005(平成17)年5月、県医師会主導の下、関係12機関が参加して設立された。日医が推進している国民医療推進協議会に呼応したもので、まず禁煙運動に取り組むこととし、7月30日に県民公開講座「禁煙シンポジウム」を開いた。

2005年9月(夏季)、10月(秋季)に開催された岡山国体で各競技会場に設置された救護所に医師計200人を派遣、選手の怪我や疾患に対応した。会場ではAEDも設置された。

医療制度改革反対で署名活動

小泉内閣が決定した医療制度改革大綱は医療費抑制と患者負担増という財政主導の政策であり、医療の質を守り、国民皆保険を堅持するため断固反対であるとして、岡山県国民医療推進協議会(県医師会など7団体で組織)は2005(平成17)年11月26日、岡山市内で決起集会を開き、約250人が参加した。反対の決議案を採択し、国会議員ら関係方面に働きかけるとともに署名運動を展開することとした。署名は333,914人が集まった。日医の集計では全国で16,629,850人。これを踏まえ日医は政府と交渉し、一部修正を勝ち取った。

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